『藤原道長』の不思議
大河ドラマ「光る君へ」を観ていますと、不思議と藤原道長に興味を惹かれます。
道長は、平安の一時期において盤石の権威を確立し、またその思いを「この世をば・・・」から始まる『望月の詩』を詠んだとされる人物です。
しかし、そうした一時代の権力者にかかわらず、私の中では記憶があまりはっきりしないのです。
「藤原道長 千年の夢」著:宮崎正弘 の本の中で、
【紫式部の緑の地は多く残されており、その墓はと言えば京都の目抜き通りにあり、花と線香の絶えることがない。それに対して道長の墓は、うっそうとした雑草が生い茂り、手入れもなされておらず、権力の極みにあった人物の墓とは思えない寂れた墓地である】
これはどういう事だろうと不思議に思い、実際に見に行こうと思い立ちました。
調べると、京阪宇治線の木幡駅から坂道だらけの住宅地の中にあるようでした。
しかし、駅には関連のポスターはなく、案内板もなく、道行く人に尋ねても誰もわからない状況でした。
スマホの地図だけを頼りに、住宅地の中を迷いに迷って、2時間を要して汗だくの状態でようやく見つけ出すことが出来ました。
道長の墓とされる「宇治陵」は、どうやら宮内庁の管轄下のようで、門扉はしっかりと施錠されていて、「立入禁止」の看板も設置されていました。
その状況に、落胆と悔しさと道長に対する酷さで、疲れが一気にかぶさってきて、残念な気持ちでいっぱいになりました。